映像編集

サッカーの微妙な判定に使われるビデオは ビデオ・アシスタント・レフェリーが見る前に AIによって瞬時に編集され 手に触れなかったボールが なぜか手に触れたことになる 犯罪場所周辺にある防犯カメラの映像は 捜査関係者が見る前に どれも 注意深く編集され 現場近くを通ったはずの車や人が なぜか通らなかったことになる 政治家が映った映像はもちろんのこと 軍事演習の映像も 戦争の映像も そのほとんどが編集され まるで文字の編集のように 編集しないのが悪いことになる 文字を編集するのがいいことで それが仕事になっていて 画像の編集もいいことで それが職種になり 映像の編集が悪いことでなくなり それが高収入につながり 技術は とめどなく進歩して 編集したかどうかは もう誰にもわからない 事実はどこにもなく 編集された映像が真実として流される それは事実ではないと言ったらば でもそれは真実だという答えが返ってくる 宗教とか科学とかといった 真実という名のまやかしに 慣らされてきた私たちを 待っているのは 事実とは遠い真実が横行する社会 真実にノーと言える人がひとりもいない社会 事実が見えない社会 人も情報も信じることができない社会 そんな社会でも 映像は信じられなくても 情報は信じられなくても 君だけは信じる 君を信じる